皆さん
こんばんは!
今日は、私が考える「自然エネルギー」に共感する理由を考えてみる事にしました。
3.11が勃発する前から、様々な人々がそれぞれの根拠や思いを持って
自然エネルギーと格闘してきました。
そのことは
しっかりと
11/4に飯田哲也さんが
ご教授くださるので
乞うご期待です!!!
<自然の中の人間>
寒くなったり、涼しくなったりと、お天道様も気まぐれな日々を送っていますね。
それって、人間の行動と同じなんじゃない?って思っています。
人々は長らく
自然の
その不思議さや偉大さに敬服しながらも
同時に脅威を感じ続けているのも事実です。
今回、津波や地震を体験したので益々そう思っている人も多いと思います。
だからリスク管理だ!と
危機管理を強化することに尽力を注いでいる方面もあります。
脅威を克服するために
人々は一生懸命
自然を相対化したり
自然を「克服」という名目上加工してきました。
このことを否定するつもりも
批判するつもりもありません。
しかし
自然と人々の関係は
乗り越えたり、敵対したりする存在なのでしょうか?
例えば私が研究している
「母乳育児」はよく自然VS近代文明などという議論に回収される格好の材料となっています。
話がそれまくるので、この話はここで終わりにしておきますが
これらの二項対立に
私は違和感を感じています。
この事に関して、簡単な結論ですか私なりの答えは
「分からない事は、要因は自然にしておこう」です。
まがいなりにも、大学院生がその答えか!
と怒られてしまいますが、以外とそんなものです。
またまた
話がそれましたね、戻します。
自然を解釈するは人間だし
自然に脅威を感じているのも人間です。
自然はいわば”無色透明”なんだと思います。
それに人が、色々な色を付け続けている。
ただそれだけなんでしょう。
という訳で
自然を使って
人間の営みと支えるエネルギーにするのは
当然?
と言えば当然なんですね。
それと
同じ歩幅でいける。
人間の歩幅と同じように。
でも
これは
近代を支えた枠組みを壊すっていう
かなり厄介な問題を波乱でいるのです。
だから
厄介
何だとも思います。
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