2011年10月24日月曜日

西日本で考える・・・エネルギー

こんばんは。
私しか書いてないので、私物化しているように?思われますが・・・。
分かりませんが、私物ではありません。

現在、研究で某西日本のある地域にいます。
実は3.11もそこで、調査していました。
それ以来なので
少し変な気分です。
そう
あの日を思い出すのです。
それと関係しているのかどうか
分からないですが
前回と同じ宿には泊まりませんでした。
洗濯機とか大浴場とかあって
結構
お気に入りだったんですが、あの日を思い出してしまうのです。

狭い町なので
前回の宿に近い場所に宿泊しているので、思い出さないわけではないですが
いくらか「気持ち」は楽です。

3.11の日に大きな被害を見た訳でも
実際に体験したわけでもないのに
なぜ、胸が安定しないのか?

それは、「危機を共有しなかった」という危機が私に起こっていたからです。
分かりにくいかもしれないのですが
平たく言うと
あの日
関東地方に生まれて育った私にとって
「東日本大震災」の体験を共有していない=東日本にいる資格がない
と思ってしまったのです。
あの恐怖を体験していないことは
今でも「同時代」から私を引き離しているのです。

もちろん
体験だけが全てではありません。
イマジネーションを膨らませなければ
研究や追求はできませんし
なにより
他者理解にはなりません。

でも
時より思うのです。
あの日私は西日本にいたのだと・・・。

そんな気持ちのママ、未来のエネルギーについて
偏りを解体しながら、
「この県の隣の県には沢山原発あるな・・・。」
「駅前のりっぱなビルは●○電力だ・・・。」

この県は○●電力本社があるにも関わらず結構自然エネルギー!の研究が盛んらしい。
昨日
マイクロフィルムで過去の新聞をあさっていたら
出てきた。

そう、
体験だけだはない
何かを
見つけなくては

そうして夜7時には全く人が歩いていないメインストーリトを歩きながら
生活とは
電気とは
エネルギーとは
キャピタリズムとは
うん
考える事はたくさんある

仲間達としっかり考えていかねば

エネルギーの未来を描かかねば・・・。

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